ヘッドライト早期点灯研究所

調査・実験

2016年03月07日

交通安全の歴史2-大正~昭和時代-

 

「ヘッドライト早期点灯研究所」は、早期点灯の実施に役立つ情報の調査を行うチームです。今回は早期点灯から視野を少し広げて交通安全の歴史にフォーカスします。前回ご紹介した期間は、江戸時代から明治時代。今回は大正時代〜昭和時代について調査をしました。歴史を見ることで今後の交通安全、ヘッドライトの早期点灯につながるヒントが見つかるかもしれません。なお、今回の記事は主に「道路交通問題研究会編 道路交通政策史概観」を参考にまとめています。

法整備が整い始めた大正時代

前回の記事でも紹介したように、明治時代はまだ交通ルールが整備されていない時代でしたが、大正時代になると徐々にルールが整備され始めるようになります。

 大正8年(1919)4月10日、日本における道路行政の基本法である「道路法」(法律第58号)が公布された。明治21年(1888)立案以来、実に30年の歳月を要したという超難産の法律である。8章68條からなるこの法律は、道路の種類、等級及び路線の認定、道路の管理、道路に関する費用及び義務、監督及び罰則、訴願及び訴訟などの各章で構成されている。
  同年12月6日、道路法第31条の規定を受けて、道路の種類による規格・構造について規定した「道路構造令」及び「街路構造令」が公布された。これらの構造令は、初めて自動車を視野に入れた内容となっているが、まだ、道路交通の主体が馬車や荷車であることに配慮していた。しかしながら、その後、急速に増加する自動車交通に対応するために、同15年、「道路構造に関する細則」を定めて「構造令」を補完している。だが、なお、馬車への気配りを怠らない両にらみの構造基準となっていた。
※道路交通問題研究会編 道路交通政策史概観より引用


大正時代に公布された道路法で、道路や道路を通行する乗り物の往来に関する内容が整備されています。この頃はまだ馬車や荷車が交通の主体であったというのも意外な発見ではないでしょうか。そして、同年には交通安全運動の基礎となる通牒が全国に広まります。

大正9年12月16日、「道路取締令」公布後、各府県長官宛に内務省警保局・土木両局長から「道路取締令ニ関スル件」の通牒(12月22日)がだされた。この通牒の骨子は、同令の施行に当たって、・民衆の交通安全思想を高めること、・印刷物や諸会合の機会を利用して法令の普及宣伝を行うこと、・交通取締りとともに期間及び場所を限って交通整理を行うこと、そして、・徐々に左側通行の習慣をつくること、・そのためにあくまでも規律の指導に重点をおき違反者を直ちに処罰することがないように、との内容であった。これに従って、翌10年から左側通行を軸とした交通安全運動が、全国的に展開されることとなったのである。
※道路交通問題研究会編 道路交通政策史概観より引用


また、この頃の交通安全運動について、富山県で行われた記録も残っています。

大正10年3月20日から24日までの5日間、県下一斉に「交通安全デー」が催された。交通上の注意書を各戸や街頭で配布、青年会などの講話、自転車や乗馬行進、商店の窓ガラスなどにチラシを貼る、赤・青の腕章や白・赤のたすきをかけた小学生が街頭に立つなど、いろいろな方法で宣伝した。また、富山警察署では、市内電車に交通安全デーと染めた幕を張ったり、交通安全の都々逸の歌詞を作って芸者に講習し、お座敷で唄うようにすすめたりした。高岡警察署では、各町から青年団員500名を集めてちょうちん行列を催したが、その時に次のような交通安全宣伝歌(戦友の替え歌)を万歳の声とともに意気高らかに歌って気勢をあげたという。
○ 左側通行の道路法、自動車・自転車・人力車、牛馬や諸車の差別なく、道で子供を遊ばすな
○ 馬乗り、自転車稽古など、交通妨害なさぬよう、夜分に車を挽く時は、灯火を必ず忘るるな

※道路交通問題研究会編 道路交通政策史概観より引用


先ほどの道路交通の主体は馬車といったように自動車が主な交通手段という今の道路環境とは大きく違う様子がわかるとともに、一方では交通安全をPRする手法として、街頭での呼びかけやチラシの配布といった内容は今の交通安全運動にも通じているという事が分かりました。

交通事故が流行語に。交通安全の取り組みも広がった昭和時代

交通安全運動が全国に広まり始めた大正時代。自動車の普及も進む昭和時代は交通事故件数も増加し続けていたようです。

昭和34年初頭頃から「交通戦争」という言葉がある大新聞で使用されるようになった。言葉はいささか物騒であるが、その新聞によると昭和30年頃からの交通事故による死者及び傷者の状況は、日清、日露戦争の死者の数字と比較してもさして変わらない程の大きな数字であり、これはまさに「戦争」といってもおかしくないということであった。

※道路交通問題研究会編 道路交通政策史概観より引用


この交通戦争という言葉は全国的に広まったようで、昭和35年の流行語として選ばれており、まさに交通事故が大きな社会問題として認識されるようになった事がわかります。
その少し前に、行政も対策を打っており、今も続く「交通安全運動」が始まったのも昭和からという事がわかりました。

昭和23年警察組織の大改革により自治体警察が創設されたが、交通問題の多い警視庁はじめ大阪市等6大都市の警察が一体となり、国家地方警察本部の提唱に協力して第一回の全国交通安全運動を昭和23年12月に実施した。この交通安全運動は、当時組織が分断されて兎角統一を欠いていた交通警察の展開について共通した考え方、統一した指導取締りの方策を全国の警察が斉一に実施するモメントになった。

※道路交通問題研究会編 道路交通政策史概観より引用



昭和23年に第一回の全国交通安全運動が実施されたとき、この安全運動の中における交通警察のあり方について、“従来の取締りが主であった考え方を改め、指導に重点をおく取締り方策を考える”ということが提唱され、各方面から画期的であると評価された」ということが記録されている。



※道路交通問題研究会編 道路交通政策史概観より引用



警察組織の改革ともに生まれた交通安全運動。組織を横断して認識を1つにしたり、取り締まりではなく、指導に重点を置くといった方法をとるなど、交通安全に対する取り組みも改革的に行われ、その考え方は現在にも続いているという事がわかりました。

今も続く交通安全運動の礎となった大正〜昭和時代

今回は大正から昭和までの交通安全に関する内容を調査しました。
この頃から自動車が道路交通の中心になったり社会が変わるだけでなく、今にも通じる交通事故の問題、その対策としての交通安全運動が生まれたという事がわかりました。
最近はどのような考え方、活動を行われているかについては、こちらの記事(全国早期点灯まとめの記事にリンク)も合わせてみると、これからの交通安全について気づく事があるかもしれません。
クルマを運転する方は日の入り30分前のヘッドライト点灯&オートライトの活用もぜひ実践してくださいね!

参考:
道路交通問題研究会編 道路交通政策史概観
電通広告年表

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